高円寺日記

気が向いたときに更新

銭湯、気になる桶の置き方と音楽

3連休初日、というよりも木曜日の夜には久々に友人と会うなどした。酒を飲み、銭湯に行き、カラオケをして、なぜか朝4時に退店して、家で仮眠をとった。

その結果、筋肉痛になった。お酒が強い人は翌日頭痛になる前に筋肉痛になるのである。せっかく鍛えた筋肉をアルコールに破壊される感覚はなかなか屈辱的だ。酒はバカの飲み物であることを再確認する。酒を飲むものは等しく愚かである。

して、筋肉痛をやわらげる為に銭湯に行った。そういえば一人暮らしを始めてから風呂に湯を溜めたことがない。なんとなく経済的でないと思ってしまうのだ。どう考えても銭湯のほうが高くつくのだが普段はシャワーを浴びて週に一回銭湯に行っている。どう考えても経済的ではない。よくわからんガス会社ではなく地域にお金を落としている点は地域経済に寄与していると考えられなくもないが、また話がそれてしまった。

高円寺には名湯・小杉湯がある。ここは建物は古いが中身はきれいで、コワーキングスペースとかも隣に作ってみたりしちゃってる、小洒落た、悪く言うといけ好かない銭湯だ。だが中がやたらと綺麗で、お湯も何かとコラボしながら毎度違うお風呂を用意してくれるので飽き性の僕にはちょうど良く、毎度利用させてもらってる。正直いい銭湯なのだ。人は多いけど多いことには納得感がある。あと定期的にラッシュとコラボして、おいてあるシャンプーとかが全部ラッシュ製品に代わるんだけど、おじいちゃんから妙に甘いいい匂いがしてて面白い。匂いがハックされてその人たり得るものが奪われていく。

銭湯行った時のいつものルーティンは、頭→体の順で洗い、S 熱いお湯*1に入り水風呂につかる、椅子に座ってボーっとする D.S.って感じ。今日はこのルーティンの問題点に気づきました。

問題点
毎度ふろいすを戻してとってを繰り返すのですが、上に戻して上からとるので、一番人のけつに触れた椅子を繰り返しつくことになってる。実質穴兄弟化している。汚いか。

上に積んで下から使うようなイノベーションが必要である。のぼせ上った頭ではいい答えは思いつかなかった。まあ風呂場って基本的に最も汚い状態から最も綺麗な状態になるところだから大丈夫だよな。うん。

ここからが本題です

毎週熱い風呂に入り続けた結果、だんだんと熱く感じなくなってきたのだ。設定温度を下げたのかな?と最初は思ってたのだけど、友人と入ったときに気づいた、僕が鈍感になっていると。 カエルはいきなり熱湯に入れると慌てて飛び出すが、ゆっくり温めていくと逃げずに茹で上がっていくという噂を聞いたことがある。こうやって僕も茹で上がっていくのかと、カエル化現象とはこのことかと思い恐怖を感じている*2

敏感だった感覚がどんどんと鈍麻していくのは常に感じていて、音楽が顕著なんだけど、前聞いて衝撃的だった音楽や、とても違和感ある音、リズムだったのがすんなり耳に入ってきたりして詰まんなくなっていたりして、残念である。


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まあこの曲のことなんですけど。イントロのノリ変化に関してはまだ楽しめるのだが、AメロBメロに振り回される感じがどんどんと失われていく。音楽に身をゆだねてふりまわされるのが好きなのだがその感覚が失われる恐怖だ。サカナクションの山口御大がおっしゃてた「音楽は探す遊び」だと。激しく同意である。10代の耳にはすべてが新鮮でありとあらゆる音楽が新発見の連続で楽しかった、探すまでもなく目の前にあったのだ。まるで昭和の潮干狩りである。でも今はどうだ。僕の耳は嫌な感じにこなれてしまい、そして音楽の知識は乏しいものだから大まかにしか音楽は聞けず、小さな変化に気づかない。

新しい音楽が見つからなくなってきた。令和の潮干狩りである。しかも潮干狩りでアサリはとり飽きたのでなぜか珍しいキノコを探している。見つかるわけがない。

新しい刺激を求めspotifyのおすすめを聴き続ける日々だ。交通事故以外の探し方も知らないので仕方がない。

音楽よりもマンガにおいてその傾向が顕著で嫌になっちゃうんだけどさ

まあそんな日々である。

最近は小説を読み始めて、カササギ殺人事件をかなり時間かけて読んだ。

むちゃくちゃ面白かった。てか贅沢すぎる。フォアグラの上にトリュフとキャビアが乗っているものをいったん捨てて、寿司握った感じの小説だった。おすすめです。

*1:43℃

*2:実際カエルという言葉とこの噂が脳内で強烈に結びついており、好きな相手に冷めると茹で上がるのギャップでなかなかカエル化という言葉が受け付けない